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2016年3月11日 (金)

神経症であり続けることは、死よりも苦しい

神経症になってしまったら、本当にヤバイ状況だと認識するしかありません。

実際にやばいです。
生きる尊厳を奪われ、幸せに生きる権利も放棄させられ、耐え忍んだところで神経症が治る保証は何にもありません。
神経症は自分の内面の問題だけではなく、まわりの人にも多大な影響と迷惑も与えてしまうものです。
一人で苦しむだけでも死にたくなるくらいきつことなのに、対人恐怖の場合だったら、周囲の人間に緊張感や不安感や居心地の悪さを与えてしまうし、うつ病だったら、配偶者や親や子供にまで、第二の鬱を波及させたり、振り回したりしてしまう。
悪い影響がこれ以上波及させないためにも、神経症を根本から今から徹底的に、その原因を破壊し、悩まない思考を自分の脳に植え付けなくてはいけないでしょう。
よく悩んでよかったというけれど、そんなものは乗り越えた人だけが言える言葉であって、実際に悩んでいる当時は、悩んでよかったことなど何一つなかったです。
悪いことばかりだし、周りに自分の意志とは関係なく悪影響や心配を与えてしまうし、神経症を克服したからといって、普通の人間は障害物がなく、我々がやっとこさ到達できた位置にすでに進んでいる。
よくよく考えれば、神経症とは、死刑宣告のようなもので、実際には死にはしないけれど、死んだほうがマシだと思わせる、あるいは自殺を自己選択せざるを得なくするほど、ひどくてやばい状態です。
もし神経症であるけれど、いつか治っているはずだという甘い認識を持っているのならば、厳しいことを書きますが、いますぐその考えを捨てたほうがいいと思います。
そしてその切羽詰まった状態が、ありえない行動力を生み出し、バカになって動くことで、神経症に毒された思考回路を破壊でき、自分の限界を超えるエネルギーを生み出してくれるんだと思います。
実際に私は、その認識を改めたことが、大きな神経症克服のターニングポイントとなりました。

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