神経症克服に何が足りないのか

2013年7月13日 (土)

神経症克服のための行動が取れない人は一生苦しみ続ける

怖いタイトルでもうしわけありません。
しかし、神経症になって自体が深刻化しているのに、現実を見ないで、ただただ辛さを通り過ぎることを待っている人がいる。
そういう人には未来はやって来ません。

たしかに逃避も必要。
休息も必要です。
が、それらは、立ち上がるための充足期間でなければなんにも意味がありません。

神経症は黙っていたら、勝手に軽減に向かうことはありません。
だが、その現実を受け入れることはなかなかできません。
少しでも希望を持ちたいからです。

でも、そんなことをしても時間がすぎるだけです。
時間とともに神経症はどんどん自分と同化します。
そもそも生まれながらの神経症はいません(神経症的性質の人はいますが)
後天的な出来事でそうなっているから、神経症じゃない状態に戻ろうと思えば戻れるのです。
しかし、神経症克服のための行動が取れない人がずるずる時間が過ぎて行くと、神経症じゃない自分の想像ができなくなります。

想像ができなくなるとはどういうことなのか?
私は神経症から脱出するためには、神経症ではない自分が想像できなくてはいけないと思います。
想像ができるから、それが現実化してくれるわけです。
プラス暗示をいれこんでも、想像できないことは暗示は入らないと思います。
想像できるからこそプラス暗示がプラスとして深く浸透するわけです。

だから、完全同化するまえに行動してください。
寝ているだけではダメです。

行動とは何か?
自分自身を肯定するための行動です。
しかし、高いリスクが有ります。
最初から肯定できるはずがないからです。
しかし、思っているだけでは肯定感は出てきません。
肯定感が出る一番の方法は、肯定感がでなくてもいいから、チャレンジしていく、そういう愚直な自分を認識することです。
打たれても打たれても立ち上がるボクサーのように。
仮にその試合に負けても、その気持が、次の飛躍のきっかけを必ず作ってくれます。

そういうリスクを経て、はじめて心が大きく生産的な方向に動いてくれると思います。
私の経験から強くそう言えます。
神経症克服は甘いモノではありません。
しかし、もっと甘くないものは、神経症そのものです。

やばいすぎるほどやばい症状が、神経症です。
精神的な末期がんぐらいのやばさだといえばわかるかもしれません。

どちらの道を歩んでもイバラの道、だからこそ、先に光が見える方向に、見えなくても、神経症克服した先人たちが到達したであろうゴールに向かって愚直に歩んでください。
途中休んでも構いません。
そしてまた立ち上がってください。

そうすれば必ず未来は開けます。

2013年4月 7日 (日)

不安を寄せ付けない自分になるために必要なこと 神経症克服のコツ

生きていれば多くの困難に直面します。
普通はその苦境は一時的なものだったりしますが、神経症の場合、それが常にずっと付いて回るという性質があります。

その時の不安感が恒常化すると、身も心もすっかりと症状に呑み込まれ、不安がさらなる不安を呼ぶ悲劇がおこります。
その時に、神経症の人は、いちいちその不安をかまってしまいます。
最初の不安を何とか消したり、しのいだりしたとしても、次にまた第二の不安をかまってしまいます。

そして第三、第四の不安の対処法だけをやって人生を送ってしまいます。
あっというまに50,60,70歳になってしまうのは、先人の多くがおっしゃっていることです。
神経症は老人はかからないし、老人になったら神経症が消滅していると思っていませんか?
そんなことはなく、実際に老人になってもずっと神経症のまま生きているのが現実です。

人生を考えた時に、何のために生まれてきたか考えてください。
不安の対処法をするためだけに生まれてきたのかというと、決してそうじゃないはず。
もっともっと命を躍動させるために、一度だけの人生を送るほうがいいに決まっています。

でもそんなことをいったところで、目の前の不安を対処するしかないじゃないか、と思われるはず。
それは私もよく分かることで、そればっかりやっていました。
その結末が不安ばっかりの人生を吸い寄せる神経症人間になってしまった。

しかし、不安をいちいち構っていたのでは、もともとなかった不安を第二、第三の不安として作り上げてしまいます。
不安はもともと存在するもののほかに、自分が勝手に想像の世界で創造してしまうものがあります。
すくなくとも想像の世界で、もともと存在しないことを肥大化増幅させて、不安感を持ってしまうことだけは避けなければならないと思います。

だから、不安と闘おうとすることや、避けようとすることだけはしないほうが良かったです
それをしていたのでは、永遠に不安の渦の中で何のせいかもあげないまま心も体も朽ち果てていきます

そのためには割り切りの能力が必須になります。
これを持っている人と持てない人は、天地の差が出ます。
割り切りは考えていたのでは決して身につきません。

不安の中で生きてやる、という覚悟のみが、割り切りの能力を作り上げてくれました。
不安があることを割り切れるということは、第二、第三と続く不安をも排除してくれる力があります。
そして割り切りがついてくると(最初から割り切れるはずがないので、徐々にでいいと思います。焦らないでください)、今度は都合よく不安な出来事を捉えることが出来るようになっていきます。

そうなると不安は逆にエネルギーになってくれます。
そもそもの不安が不安でなくなってくれるようになります。
不安を感じないという人間がたまにいますが(岩波先生がその最たる例です)、そのような割り切りの能力があるからなのです。

不安と戦って打ち消そうとする行為自体、自分で不安を引き寄せてしまっています。
だけど、それをみんなやってしまうのが神経症の怖いところです。
だから、何をやっても神経症を克服することが難しい。
この罠に気づける人だけが、克服への道のりを歩めるんだと思います。

まずは不安にどう対処していったか、それがいかにまずかったから認識することが第一歩です。
そして危機感を高めてください。
それが神経症を解決できる原動力となってくれます。

2012年2月 3日 (金)

神経症に陥った人に潤いある人生は望めるか? 普通にやっていたら難しい

久々の更新となります

私は神経症でしたが、このコラム(ブログ)には、私が悩み苦しんだ上でつかんだ決心や決意、覚悟を書いていこうと思っています。
神経症に限らず、人が悩むと、その人から覚悟や決意、勇気、攻めの姿勢、チャレンジ、果敢さ、溌剌さ、割り切りさを奪っていきます。

そうなると、いくら本を読んでも、ベースがボロボロになっているから、知識で悩まない生き方を理解しても、悩みは一生解決しません。
努力が足りないからでもなく、神経症を解決する能力がないからでもありません。

苦しみがずっと続くのは、誰のせいでもなく、神経症というものがそれぐらいやばい症状だということです。
人生にうるおいは全くなくなり、苦しみだけを味わい続け、言い方が悪いが、人が本来持つべき明るさや快活さといった要素を奪ってしまった「出がらし」になりかねない。

そこで、苦しい思いをすると、人は潤いを求めてしまう。
普通になろうとする。(しかし、普通には決してなれない現実)
もうつらい思いはしないために、必死で防衛ラインを敷いて、あわよくば逃げきろうとします。

でもこれは誰でもやってしまう当たり前の反応です。
だからこそ、神経症になった人は、なかなか克服できない。
神経症という辛いことから逃げて、自分を守ろうとするのは当然で、私(ベシ)もずっとそういうことを繰り返してきました。


でも、神経症の恐怖から逃げきる事なんか出来なかった。
恐ろしいことに、神経症という身動きできないことを理由に甘えて、攻めること、チャレンジすること、覚悟と決めること、勇気を振り絞ることを拒否していました。
その結果、蟻地獄に陥ったアリンコのように助かろうともがけばもがくほどますます状況が悪化していく罠に陥った。

その時の私は、蟻地獄(神経症)をぶっ殺すために、自ら地獄の中心に進み出るなんて思っても見なかった。
しかし、岩波先生との出会いで、逃げていてばかりでは駄目だ、覚悟を決めて、もう潤いも求めずに、一生生きていくぞという風に切り替えることが出来ました。

神経症に陥ったらもう一生潤いみたいなものに包まれる真似はしないという決意です。
そもそも、そこで潤いを求めるからこそ、甘えが入って、常に一時しのぎと逃避と防衛ラインの構築だけで、苦しみながら一生を終えてしまうのでしょうね。


神経症は自分の脳味噌と無意識の中に、こんがらがったように巣食っています。
いくら逃避しつづけても、ちょっと一時しのぎしようと頑張っても、逃避しきれるものじゃないし、潤いは望めないもの。

一度悩み抜いたら、もうそのままいってやる! という決意こそが、本物の潤いに包まれる経験を私はしました
それは覚悟が要りました。
だけど、いつまでも一時しのぎをしていたら、神経症の呪いは一生心についてまわったことでしょうね。

岩波先生のがよく言う「普通になんてなるんじゃないぞ!」という言葉は、それを目指したら、潤いは一生望めないぞ、という意味でしょう。
それがない覚悟をしたからこそ、岩波先生も私も潤いの雨が人生に降って来たと思います。
まあ、私なんか先生の胆力、覚悟の力に比べたら、てんで足りませんが・・・・・・

最近、岩波先生のDream Art Laboratoryのホームページにも、岩波の言葉が充実しているので、そちらを読むといいと思います。
神経症克服に必要な宝石のような言葉が沢山あります。

だけど、注意してほしい点があります
宝石は深く山を掘っていってはじめて手に入るものです。
そこらへんに転がっているものじゃない
山深くに埋もれている石ころを宝石とするには、自分の強い決意が必要なんだということ。

岩波先生の言葉を知識だけで理解してはもったいないです。
深く気づいてください。

それに注意して読めば、ものすごい神経症克服のヒントが詰まっていることでしょう
岩波先生の言葉・講演集
Dream Art Laboratory Official Page

潤いのある人生を取り戻すには、人がやってしまう行動、思考回路を破壊してください。

2010年9月 7日 (火)

こんな人は神経症が悪化し、こうなれば神経症は治るという法則

直接神経症の人とは関係ないですが、ノイローゼの悩みとは無縁の人はどんな思考と行動をしているのだろうか???


のっている人・ノイローゼとは無縁の人の特徴

輝く オーラがある

のっている、生き生きしている

どんなに傷ついても平気で行動しているし、できる

異性にもてるだけの雰囲気を漂う

いつも元気だし、疲れも心地よいぐらい

目立っている、目立ちたいと思う

リスクを怖がらない、受け入れられる

自分に甘えがない、律することができる

魂からどっしり座っている

はきはきしている、自己主張ができる

挨拶がしっかりできる

てきぱき行動できる

損得勘定なしに動いている、動きつつ考える

話し上手、人を説得する力がある

悪口を言われても意に介しない

陽性、快活

自信のかたまり、自己信頼感

すべてのスピードが速い、フットワークが軽い

家でじっとしていることはない

相手の思考を読める

声がよく通る

背筋がピンとしている

プラス思考

エトセトラ

これらが乗っている人、悩まない人の行動と思考様式です
まだまだ探せばたくさんあるでしょう
これを正反対にしたら、悩みにとらわれ続けている人にぴったり当てはまります
それぐらい、いい生き方、満足できる生き方と逆のコースを歩んでいる。

でも、しょうがなくなったし、そうならざるを得ないですよね。
誰も好き好んでやっていないにしても、現実として正反対の道を歩んでしまっているという事実があります
これじゃ、いつか、巻き返せると思うこと、考えているだけではとうていできません。
ものすごいハンデを背負っているということです。
だから、「あこがれ」だけでは神経症、ノイローゼは解決できないです。


今度は、神経症にとらわれている人を書いておきます。
私を思い起こして書いたものですので、誰か特定の人をモデルとして書いているわけではありません。とはいえ、ノイローゼになる人は、考え方、行動様式がみんな似てくるものですので、けっこう当てはまる人がいるかもしれない。

マイナス思考

切り替えが遅い、割り切りが悪い

くどい、くよくよ考える

後悔の連続

のりが悪い

無気力

現実逃避

他人が目線が気になる

どう見られているか気にする

話をするのに考える、ぎこちなくなる

考えると何もできなくなる。しかしますます考える。

疲労困憊になりやすい・眠い

小細工

小ずるい

面倒くさがり

怯え/不安/恐怖/緊張

許せない、許容量がない

何でも受け身

片づけができなくなる

自己否定感、自己嫌悪感

反応が鈍い、ワンテンポ遅れる

快活さがない

姿勢も悪い、いびつになる

表情がこわばる

挙動不審

パワーがない・スピードもなくなる

表情がない・事務的

目が泳いでいる

肩がこったり、目が異様に疲れる

いつも体のどこかに意識が向いている

上を見て歩けない

妙なプライドだけは高い

理屈だけは異常に発達している

人からよく思われたい欲求が強い

100パーセント安心しても、安心できない

不平不満をすぐ言う

あの場合、この場合と何でも考える

集中力がつづかない

エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ

これじゃあ、人生が快調な状態になることももちろん、普通レベルの生き方だって難しいくらいかもしれない
ほんとうにくるしい状況です。
そして、なによりやばいのは、今この瞬間も、この状態に磨きをかけていることです。
明日から治るわけじゃないし、一年後も五年後も同じか、それ以上の磨きがかかっている可能性が高い。
いい経験がないし、悪い経験をせざるをこの状態では得るしかないですから。
好きでなったわけではないことは確か。

だから、時間との勝負はとても重要でした。
(もう一度)なりたくてなったわけじゃない!
本当にその気持ちよくわかります
私も、どれだけ悔し涙を流したことか
発狂したくなるくらい精神的に追いつめられました。

なぜ神経症が治らない、ずっとつづくのかと。
でも、こんな行動/思考様式をせざるをえないんだから仕方がないかもしれない
こうやってたくさん挙げた例はどこから産まれてきているのでしょう?
それはすべて、神経症という悩みのとらわれているから、それらが身に付いてしまう
そうだ、神経症のハンデがなければ、すべてがうまくいくんだ
では、神経症になったのはなぜか?
原因があって、色々な経験をしたから、そうならざるを得なかった。

結局、 神経症を原因を突き止めて、自分の今までの人生にリセットをかけることにいきつく。
すべて悪いのは、神経症です。
心の傷を負わせた奴らです。(そして自己解決ができなかった自分の最終的な責任でもある)

神経症解決には、自分自身をリセットし、解決しなきゃいけないことにもつながります。
徹底的な自己改革、強化しかない。
結局はそう。
今の神経症ではまっている状況がいかに、怖いことか、しっかり知ることが絶対必要だと思います。
上に上げた例は、これじゃあ、普通に生きることも今のままでは難しいか、知るきっかけになればと思います。

どう考えても、自動的に浮上する可能性なんて皆無だと思いませんか?
待っていても、時が解決しないということ。

過去の私へ罵倒する言葉、そして神経症の人へ

もう一度、神経症ではまっていた頃への私に投げかける言葉を書き連ねます。(前の記事はこちら
ノイローゼで苦しみ続けるということは、すごく恐ろしいことだ
悩み解決の手段もほとんどない

一生悩み続けることになりかねない
神経症になったら、楽しいという経験が皆無だ
友達関係も作れない
もちろん恋人もできない
理想的な恋人は夢のまた夢

ひたすら孤独だけ
誰も自分の心をわからない孤独
愛を得られない孤独
孤独でいいという心構えもぐらつく

時には人から笑いものにされる
同情されもする
でも高い評価は決して受けられない
でも、悩んでいる人(私)は、人からよく思われたいし、高く評価されたい気持ちが誰よりも強いという皮肉

よけい心が沈み込むのは当たり前
どんどんエネルギーがすり減っていく
生きているのか死んでいるのかわからない人間ができあがる
強い薬を飲み始めたら、薬の副作用で眼の光まで無くなっていく。

知恵が働きすぎるほどの、素晴らしくも情けない頭。その良さが発揮できない
細かいことにとらわれ続ける自分が情けなくなる。

自分を守るためにプライドが肥大化する。だからよけい恥をさらせない
人から取っつきにくいと思われる。第一印象から悪い感じを与えてしまう
悪いオーラばかりが出てしまう
そのプライドの高さに反して、人からは高い評価を得られない。
だからよけいプライドを高くして防衛だ

人から変に思われる。
変に思われたくないのに、どうしても挙動不審をとってしまう

異様に人から評価されることが怖い。
だから 評価をさけるために目立たないようにする

目立ったことをしたくない。存在感をゼロにしていきたい
無人島で一生終えたい

人を信じられなくなる
猜疑心だけがどんどん身に付いて、行動が何もとれない。だから口先だけになる

恋人をほしいと思っていても、出会いがないとぼやく。
何の努力も恥もかけないのに異性への理想だけは異常に高い

この神経症の悩みさえなければ何でもできるはず、といつも思っている。
この悩みが解決すれば、すべてがうまくいくという幻想を抱いている
しかし、現実は何もかも神経症のせいでうまくいかない。

未来を考えるのが怖い。
神経症である未来を見てしまうと、生きている意味がなくなるからだ。

今度傷ついたら、生きていけないとおびえて生きている。
傷つきたくないから、冒険ができない
いつも自分を守っている。あけっぴろげに行動できない
自分を出せず、能力も発揮できない。

症状だけでも苦しいから、他の苦しいことへの耐性がどんどんなくなっていく
やる気はおろか、集中力、持続力すべてがなくなっていった
悩みに耐え続けている自分に、妙な誇りを持っている

一時しのぎを永遠と繰り返している。その罠に気づいていない
悩みの苦しみ競争では自分こそ一番だと思っている
悩みの苦しみがNo.1だと妙なプライドを納得できるのに、それでも治りたい
治っていく自分を今度は不安に思い始める
低く安定した今の苦しい状況のほうが、なおるために努力をしてきつい思いをするよりもいい

ぼーっと 悩んでいる方が得だという、変な考えがどこかにある
症状が良くなっている自分に気がつくと、今度は悩んでやろうと無意識で思ってしまって、症状を呼び寄せる
悩んでいない自分がとても不安になる

人に顔色をすぐ読まれる。一生懸命読み取られないようにガードしているのにもかかわらず。
小細工を労す
小ずるい
甘い
最悪だ
こんなにマイナスオーラを発していていいのか

そんなお前でも、最期の最期で運だけは良かった。
あれだけ心(潜在心理)にメスを入れられる腕の人に出会ったのだから。
巡り合わせの幸運だ。

神経症の改善だけじゃなく、燻っていたお前の夢も再始動できた。
もし、あの人に出会えなくて、最悪の状態のままだったら、お前はどうしていた?
だから感謝しなければならない
悩み続ける人生が終わったことに。
お前を取り戻し、再び自分の足で地を踏みしめて歩き出せたことに。

治っていなかったら、死ぬ勇気がお前にはあったか?
死にたい、死にたいと思っているくせに、いざ実行するとき怖気づかないか?
だが、もはや神経症がずっと続いていったら、そんな勇気がなくても、死ぬしかない状態まで追い詰められていただろう。
それぐらいズタボロの精神状態になっていたことは間違いない。

だから、いまお前は一分一秒の時間を大切にしろ。
神経症でどうしてもできなかったことができるようになっているのだから、惰性に陥らず、大きな目標を達成しろ。
そのためには、神経症で苦しんできた時期を思い浮かべろ。
あの苦しさを考えたら、どれだけの困難が待ち構えていたとしても、ちっぽけなことじゃないか。

2010年9月 6日 (月)

神経症に苦しんだ過去のお前への言葉

神経症に苦しみ続けられた過去のお前へ

いつか見返してやろうなんて、夢のまた夢。
せっかくのすばらしい能力も発揮できないまま過ごさなきゃいけない。
細かいことばかりにこだわって、魂が空っぽにもなってしまう。

いつしか神経症を克服する努力も惰性に陥る。
自分がいい方向に変わることすら、恐怖をおぼえてしまう。
そして、誰よりもむなしい時間が過ぎていくだけ。
情けない状況になって、ほんとうに情けない奴だ。

とことん考えに考え、出た結論は、恐怖と不安を増すことだけに終わってしまう
いつもいかに症状を抑えるか、人をいかに避けるか、傷つかないようにするか、そんなことしか考えない

「この症状さえなければ」なんて永久に繰り返している。
みんな繰り返しているけれど、そのたった一つの悩みすら克服できない
人の幸せが憎くなり、よけいコンプレックスを抱える
どんどん進んで、幸せな人を抹殺したくなる
そんな勇気はまったくないけれど。

家族も友人も誰も自分の気持ちをわかってくれない
孤独だ。どんなに苦しい状況なのかわかってもらえない

所詮、同じ悩みの人しかわからない
人の顔色を気にし続けてへとへとになってて馬鹿みたいだ
はっきりいって、認識が甘すぎる。
苦しいから、逃避し続けている
いつしか無意識にいつも逃げる選択しかなくなっている

小細工を労して症状に対策をとろうとしている
だから、症状を治すことに立ち向かうことをしない
いろいろ治すための苦労をしている?

結局、してないに等しい
すべて相手任せ
何をしても良くならない自分の症状を呪う
よけい猜疑心が増し、しまいには治る手段も消え去る

プライドだけ高くしていって、よけい自滅している
プライドで自分をがちがちに守ろうとする
実態がないから、不安が増すだけ

馬鹿になりきることもできない
異様に理性だけ発達している
これじゃ異性にもてないのはあたりまえ

恋人ができたとしても、同種類の人間しかできない
何の楽しみもない人生だ
楽しめるのは、逃避に使っている手段だけ
もし目の前に自分と全く同じ他人がいたら、大嫌いになるかもしれない
いや絶対シカトしたり、毛嫌いするはずだ。

だから、もう限界だと言うことを自覚するしかない
いつまでうじうじ腐っている!
神経症に好きこのんでなった訳じゃないけれど、もう人のせいにするな
一回しか人生はないんだ

今まで神経症克服に長くかかったのは、もう自分のせいだ
人に振り回され続けているのはやめにしよう

一生懸命がんばっているのはよくわかる
必死で耐えているのもよくわかる
だからといって、そんなことにプライドを持ってもしょうがない

いくら努力しても、良くならないんじゃ、意味がない
頭の上でこねくり回すのはもう終わりにしろ
魂の部分から変わっていけば、悩みも寄りつかなくなる

トラウマもトラウマと感じなくなればいい
でも、 知恵での対策はよけい症状を悪化させる
もう変わろう
悩んでいる自分を打ち破ろう

甘えはやめろ
惰性にも陥るな
それは不可能じゃない
可能なんだから

それをはっきり認識してから、お前は神経症を克服できる方程式をつかめる。間違いない。

『神経症治療のためのコラム』作成理由と悩んでいる人の甘さについて

序文

このブログ『神経症克服のための方程式』を立ち上げた理由(ホームページから移転しました)

私がこのサイトを立ち上げようとした理由。
インターネットにある神経症に関する個人サイトのほとんどすべてが 傷のなめあいや苦しい心の吐露といったものです。薬自慢やリストカット自慢、悩み自慢、弱音自慢・・・・キリがありません。
それはそれで、ある役割を立派に果たしていると思う。

だが、神経症を克服するための役に立つかと言えば、そうでない。
逆に、読んだ人を神経症の闇へともっと引きずり込んでしまう。
神経症が良くなっていない人が書くのだからしょうがないと思うけれども、
それだったら、悩んでいる人には厳しいことでも、役に立つ何かを書いた方が、よっぽど親切だと思う。
それをふまえて以下を読んで下さい。

けっこう厳しいこともきついことも書いています。
でも、それはすべて、昔の悩みのどん底にはまっていた私自身に吐いた言葉です。
いざ書いたら、出るわ出るわ(笑)
悩みつづけるには原因があります。
それは人のせいじゃない。最終的には神経症とは自分のせいだと言うことが大前提です。
責任は人がとってくれるのではない。

人の問題じゃない。
自分の問題だ。
いくら苦しんで泣き言を言っても、良くなるわけではない

神経症で苦しんでいる人は「甘さ」がある思う(かつての自分が誰よりも輪をかけて甘かったことを白状します)
神経症の苦しみは筆舌に尽くしがたいです。

だが、いくら苦しんでいるからって、それが免罪符になるわけじゃない。
苦しめば、それだけ、後に幸せが来ると思う?
絶対来ないはず。来るのは、更なる地獄の苦しみだけです。
きっぱり断言しておきます。

時には疲れ切ってずっと寝ていたり、泣いたり、愚痴を言ったり、ものにあたったり、親にあたったりすればいい。
ネットで弱音を吐いてもいい。
とことんやればいい。
が、泣き言をいくら吐こうと、何の解決にもならない。

どこかで立ち上がらなければいけない。
神経症や世の中は甘いものじゃない。
甘いのは自分自身なんだと言うことです。

一回り違う「甘さ」

神経症で苦しんだ分、自分は精神的に強くなっていると思う?
逆に弱くなる。もう傷ついたり、きつい思いはしたくないからです。
雨降れば地固まるなんてことはない。

神経症で悩めば悩むほど、泥沼になっていきます。
いずれは底なし沼。
神経症になったら、もう幸せな人生は望めない。

ずっと焦り、不安、恐怖、苛立ち、怒り、嫉妬、劣等感、自信喪失、抑圧ばかりが永遠と襲ってきます。
それを繰り返しても、いつのまにか良くなっていることもない。
悪くなる一方で、生きている必要性がまったくなくなる。
なにせ苦しみしか味わえなくなるのだから。

必要なのはただ悩んで苦しむことではなく、自己改革をしなくてはいけないということ。
そのためにもがいて悩み苦しむことはいいことだと思います。

しかし、いくらもがいてもやり方を間違えると底なし沼での足掻きになってしまうだけ。
いくら知恵を振り絞っても、心に火がつかないと(甘えがあるままだと)すべてがのれんに腕押しになってしまいます。

そもそも、「甘さ」とはなんだだろう。
私が言う、「甘い」という言葉は、一回りした別次元の「甘い」です。
神経症の苦しみを知らない人、人の気持ちがわからない奴らがよく言う「甘い」とは違います!

ここをちゃんとしておいて下さい。
カミソリ入りのメールを送られても困りますから(おくれっこない? いや今はウイルスがある)

泣き言を言ってもはじまらないのはそこなんです。
私が神経症克服できた最大の原因の一つに「甘さ」の排除があります。
排除したと言うより、自分の神経症をより悪化していた「甘さ」を気づかせてくれた先生がいた。
その上で自分をしっかり見つめ直して、自己変革を心がけていったと言うことです。

良くなるためには、泣き言や理屈、ご託宣を並べても効果がない。
やっぱり、苦しい症状でも前進しなきゃいけない。
そこの決意です。
でも、しかし、自分の場合は、と思うかもしれません。
そこが「甘い」と言うところです。

最初に言っておきます。
神経症克服には勇気と覚悟が絶対必要。
それは「甘え」とはまったく逆方向に位置するものです。


「甘さ」の種類

「甘い」と言うことは、神経症への「認識の甘さ」
いつか治っていてほしいという希望の「甘さ」
自分の人生に対する厳しさが足りない「甘さ」
冒険ができない「甘さ」

傷ついても前へ進むことができない「甘さ」
知恵だけで神経症に対処できると思っている「甘さ」
リスクをとれない「甘さ」

自分が変わることが怖いと思う「甘さ」
人がいつかどうにかしてくれると思う「甘さ」
薬が神経症を治してくれると思う「甘さ」

何か当てはまっていることはあるでしょうか?
私がこう書いているのも、すべて私自身が当てはまっていたからです(笑)

それよりもマシならあなたは大丈夫です。
私でも甘えの排除ができましたから。

私もさんざん「気のしすぎだ」とか「甘いから悩むんだ」「なんでくだらないことで悩んでいる」
と「部外者」から言われ続けてきました。
そして、どうしてもできない自分を卑下しました。

でも、神経症を治していくにあたって、やはり自分が甘かったからだ、と痛感しました。
心に火がついてからです。
結果的に甘えを排除でき、覚悟が身につきました。

それは、悩みがわからない人が言う「甘さ」とは質が違います。
そこのところをよくわかって欲しいです。

それでも、神経症はいつのまにか治っている、何とかなるなんて考えも甘いと思います。
もうぎりぎりのところまで追いつめられていることをはっきりわからなくてはいけないと思います。
追いつめられていることを自覚しないと、ずるずる悩んでしまいますから。

神経症は今まで良くならなかったら、これからも良くなると言うことはないといって過言ではありません。
怖いことを言いますが、悩みは悩みしか再生産しません。
希望は生まれませんので悪しからず。
絶望や苛立ちや憂鬱ばっかりに打ちのめされていきます。

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